リスキリング時代の到来:ワープロも使えない教授の嘆き
時代は変わる、されど変わらぬ人々
ああ、世の中はどんどん変わっていくものだ。つい先日、NHKの番組でリスキリングなるものを取り上げていた。工場で単純作業をしていた人が、なんとプログラミングを学んで新しい仕事に就いたというではないか。驚きの連続である。
リスキリングって何だ?老教授の戸惑い
リスキリングだと?また難しい言葉を作りおって。私の若い頃は「再教育」とか「能力開発」とか言っていたものだが、今や外来語の洪水だ。しかし、言葉は変われど、その本質は昔から変わらないのかもしれない。時代に合わせて自分を磨き直す。そう、まさに研ぎ直しというわけだ。
プログラミングを学ぶ工場労働者
工場で働いていた人がプログラミングを学ぶ。なんとも時代を象徴する話ではないか。私が学生だった頃は、コンピューターと言えば部屋いっぱいの大きさで、触れるのは一部の専門家だけだった。それが今や、スマートフォン一つで世界中とつながる時代だ。昔の私に今の世の中を説明したら、きっと SFの話だと笑われてしまうだろう。
大学の現状:笑えない現実
ところが一部の大学の現状たるや、まったく笑えない。情報系の授業を担当している先生でも自身はワープロが使えない。メールすら送れない先生もいるという事である。これはもはやジョークではない、悲しい現実なのだ。私は思わず目を疑った。いや、耳を疑った。目ではない、耳だ。なにせ、彼らが「できない」と言っているのを聞いたのだから。
時代に取り残される恐怖
しかし、こう考えると恐ろしくなる。今の学生たちは生まれた時からデジタル機器に囲まれて育っている。彼らにとって、コンピューターやスマートフォンは空気のような存在だ。その彼らを教える立場の我々が、基本的なITスキルすら持っていないとしたら?これは笑い話では済まされない深刻な問題だ。
老兵は去らず、ただフェードアウトするのみ
かつてマッカーサーは「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と言った。しかし、我々教育者には消え去る選択肢はない。学び続けなければならないのだ。リスキリング?そうだ、我々こそがリスキリングを必要としているのかもしれない。
変わりゆく世界、変わらぬ使命
世界は変わり、技術は進歩する。しかし、教育の本質は変わらない。知識を伝え、思考力を育み、次世代を導くこと。これは昔も今も、そしてこれからも変わらない我々の使命だ。ただし、その方法は時代とともに変化していく。我々もまた、その変化に適応していかねばならない。
老教授の決意
さあ、この老いた骨に鞭打って、新しいことを学ぼうではないか。ワープロやメールどころか、プログラミングだってやってみせよう。学生たちに負けるわけにはいかない。彼らが驚くような授業をしてやるのだ。そうすれば、彼らも「うちの教授、老けて見えるけど意外とイケてる」なんて言ってくれるかもしれない。
最後に:若者たちへのメッセージ
若い諸君、世界は常に変化している。今の知識や技術がいつまでも通用すると思ってはいけない。常に新しいことを学び、自分を磨き続けること。それが、この変化の激しい時代を生き抜く唯一の方法なのだ。そして、我々老教授たちの姿を反面教師として、しっかりと未来に備えてほしい。さあ、共に学び、共に成長しよう。リスキリングの時代だ!